枝豆本位制

ある日、世界規模の銀行システム障害が発生した。
預金残高が消えた。
送金記録が食い違った。
銀行間決済が停止した。
銀行は説明した。
「お客様の預金は帳簿上、存在しております」
しかし、誰も帳簿を信用しなかった。
人々は現金を引き出そうとした。
銀行は現金の供給を制限した。
企業は決済ができず、給与を支払えなくなった。
政府は緊急会見を開いた。
「金融システムの安定性を確保するため、あらゆる措置を講じます」
市場は暴落した。
人々は気づいた。
現代の通貨は、誰かが管理する記録を信用することで成立していた。
そして、世界中の経済学者が新しい通貨制度を議論し始めた。
金本位制への回帰。
中央銀行の再編。
分散型台帳。
デジタル通貨。
どの案も決定打を欠いた。
そこへ、ある経済学者が提案した。
「食料を通貨の裏付けにすればよいのではないか」
別の学者が尋ねた。
「なぜ食料なのですか?」
「実物が存在するからです」
「何を裏付けにするのですか?」
経済学者は答えた。
「枝豆です」


世界は、長年の金融危機を経て、ついに新しい通貨制度へ移行した。

枝豆本位制。

通貨は一定量の枝豆によって裏付けられる。

枝豆は食料であり、保存でき、重量を測れば価値を明確にできる。

金のように採掘する必要もない。

制度は当初、大成功だった。

そして人類は気づく。

枝豆を増やせば、通貨の裏付けも増える。


品種改良が始まった。

収量は10倍になった。

次に、乾燥地でも栽培できる枝豆が開発された。

さらに海水耐性品種。

年に三回、四回と収穫できる品種。

そして光合成効率そのものを大幅に向上させた品種。

世界中の農地が枝豆に変わっていった。

最初に消えたのは、牧草地だった。

次に森林。

湿地。

荒地。

理由は単純だった。

枝豆のほうが儲かったから。

中央銀行は枝豆の増産を歓迎した。

農家は枝豆を植えた。

企業は巨大農場を買収した。

政府は補助金を出した。

投資家は枝豆関連企業に資金を投入した。

やがて海にも枝豆が進出した。

沿岸部を覆う巨大な枝豆農場。

海面を覆う葉。

その下には光が届かなくなった。

植物プランクトンが減少する。

それを食べる生物が減る。

魚が減る。

海洋生態系が崩れ始めた。

科学者たちは警告した。

「太陽光が減ったわけではありません。誰が太陽光を使うかが変わったのです。」


さらに別の問題が起きた。

世界中で異常な量の枝豆が栽培された結果、窒素循環そのものが変わり始めたのだ。

河川が富栄養化する。

湖で藻類が異常繁殖する。

海では赤潮が増える。

土壌から一酸化二窒素が大量に放出される。

そして水が足りなくなった。

政府は地下水を汲み上げる。

河川を農地へ流す。

すべて枝豆のためだった。

経済学者は報告書を書く。

「これらは外部不経済である。」

政府は答える。

「しかし枝豆のGDPへの寄与は過去最高です。」


そして、人類が最も恐れていた問題が発生する。

枝豆そのものが余り始めた。

世界中の倉庫が枝豆で埋まった。

地下施設も埋まった。

廃坑も埋まった。

巨大タンカーも枝豆専用船になった。

それでも足りない。

置く場所が足りない。

しかし捨てることはできない。

枝豆は通貨だからだ。

そして腐敗した枝豆から大量のメタンと二酸化炭素が発生した。

そこで政府は冷凍保存を命じた。

世界中に巨大冷凍倉庫が建設された。

電力需要が爆発する。

政府は宣言する。

「枝豆本位制の信用を守るため、電力消費を維持します。」


ある日、衛星写真が公開された。

地球の陸地には巨大な緑色の領域が広がっていた。

森林ではない。

草原でもない。

枝豆だった。

研究者が地図を指差す。

「ここには、30年前まで森がありました。」

「ここには湿地がありました。」

「ここには村がありました。」

しかし今では、そのすべてが枝豆畑か枝豆倉庫になっていた。

地球上から生物種が急速に失われていた。

最後まで残ったのは、

人間。

枝豆。

そして、枝豆を食べる一部の昆虫。

だった。

ついに酸素濃度にも変化が現れた。

森林の消失。

海洋プランクトンの減少。

土壌と海洋の変化。

腐敗による温室効果ガス。

複雑な生態系の崩壊が連鎖していた。

科学者たちは結論を出した。

「このままでは人類の居住可能領域そのものが失われます。」


では、どうするのか。

枝豆を減らせばいい。

中央銀行は拒否した。

「枝豆本位制を廃止すれば、世界金融システムが崩壊します。」

科学者:

「このまま続ければ、生態系が崩壊します。」

中央銀行:

「金融システムのほうが先に崩壊します。」

科学者:

「いや、だから…」


最後の解決策が提案された。

枝豆を宇宙へ送る。

地球上に保管できない枝豆を、宇宙空間へ輸送する。

人類史上最大の宇宙輸送計画。

ロケット一基につき数千トン。

目的地は月。

月面に巨大な枝豆保管施設を建設する。

世界各国が参加した。

ニュースキャスターは感動的な声で語る。

「人類はついに、地球の生態系と通貨制度を両立させるため、宇宙へ進出します。」


ロケットが打ち上がる。

枝豆、50万トン。

また打ち上がる。

枝豆100万トン。

そして月面には巨大な倉庫が建設されていく。

その頃、地球では最後の森林が伐採された。

飛行士は荒廃した地球を見下ろす。

隣には中央銀行総裁。

「結局、何が間違っていたんですか?」

「…何も。」

「農家は合理的だった。企業も、政府も、我々中央銀行も。」

そして窓の外を見る。

地球を覆う巨大な枝豆畑。

「だから、誰も止めなかった。」

その瞬間、通信が入る。

「月面第一保管施設、完成しました。」

総裁は安堵する。

「これで、あと100年は大丈夫だ。」

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