結論から言えば、社会全体の出生数はその時々の自然条件・社会条件に対して常に正しい数字となります。
したがって、その自然な結果に対して人間が手を突っ込み、人為的に数を増やそうとする発想こそが、危険思想であると言わざるを得ないわけです。

政府や有識者会議とやらは、いまだに「少子化対策」と称して莫大な予算を投じ、人々の生殖活動やライフプランに介入しようと必死なように見えます。まるで人口が、工場の生産ラインで調整する製品の数であるかのように扱っています。
しかしながら、歴史や生物の生態系を見れば明らかなように、個体数がどの水準で安定するかは、その環境が許容するキャパシティや、時代の閉塞感、生活コストなど、あらゆる要因が複雑に絡み合った結果として「自動的」に導き出されるはずです。
現代の若者たちが結婚や出産に対して慎重になっているとすれば、それは彼らが愚かだからでも、道徳心がないからでもなく、この社会システムや経済状況を本能的に見極めた結果としての、極めて合理的かつ適応的な判断と言わざるを得ません
もっとも、政府や経済界が人口を維持させようと画策するのは当然でしょう。
労働力という名の歯車が減れば、税収が落ち、社会保障のピラミッドが崩れ、自分たちが築いた既得権益のシステムが回らなくなるのは自明です。彼らにとっての人間とは、国家や経済を維持するための「頭数」に過ぎないわけです。
しかし、自然の摂理や社会全体の無意識的な適応を無視し、自分たちの都合だけで「適正人口」を捻じ曲げようとすることこそ、全体主義的で傲慢な発想ではないのでしょうか。
出生数が67万人になろうが、合計特殊出生率が1.14になろうが、それはその時代を生きる人間たちが、無意識のうちに選択した結果の「正解」にすぎません。
数を増やそうとする不毛な政策に税金をドブに捨てるのではなく、縮小していく社会のなかで、いかに個体としてのリソースを最大化し、賢く生き抜くか。
それを考えようともせず、ただ「昔の数字」にしがみつく者たちの焦燥こそが、今の日本で最も滑稽な茶番であるわけです。
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