SNSの「いいね」やスコアリングによって、人間の多面的な感情が数値という離散的なデータに還元されています。私たちは、自分自身の内なるサイコロを振る前に、デジタル的に正解とされる目を無意識に選ばされているのではないでしょうか。
■ 量子AIを待たずして「バイナリ人間」になる危機
量子コンピュータや量子AIは、より自然界に近い計算機です。しかし、皮肉な逆転現象が起きようとしています。
量子AIが登場したとき、それを使いこなすはずの人間側が、すでに「0か1か」「白か黒か」でしか思考できないデジタル・バイナリな思考回路に固定されていたらどうなるでしょうか。
人間がサイコロを振っているかどうかは実際は怪しいのですが(笑)、私たち生命が持つ「不完全さ」や「迷い」を非決定論の根拠と解釈することはできるでしょう。
しかし、失敗を許さないデジタル社会において、私たちは「サイコロを振る(リスクを取る)」という特権を、AIによる「予測」へと明け渡しています。
人間が自らをデータという記号に変質させることによって、人間社会が離散化しているのです。
■ 「効率」の閾値を自分で定義する
私たちは今、「デジタルをいかに効率的に使いこなすか」「AIでいかに生産性を上げるか」という手法の議論にばかり目を奪われています。しかし、本当に向き合うべきはそこではないでしょう。
本来、デジタル化という「二進数の論理」を、アナログなゆらぎを持つ人間社会に導入するにあたっては、それが私たちの自由意志や責任、さらには「人間とは何か」という定義をどう変えてしまうのかという、根源的な合意形成が必要だったはずです。
デジタルはあくまで道具であり、目的ではありません。
「連続性」を味わい、「閾値」を自分で引き、「確率」の中に飛び込むことが、自分たちがシステムの一部とならずに主体であり続ける道ではないでしょうか。

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