デジタル化は人間にとって自然か?② AIは冷蔵庫を怖がらない

「AIは冷蔵庫を開けるのを怖がるか?」

こんな質問をAIに投げかければ、きっと無機質に「私には感情を司る回路がないため、恐怖を感じることはありません」と答えるでしょう。

もちろん、この質問はそんなことを聞いているわけではありません。

冷蔵庫という名の「混沌(カオス)」

数年前、「ホントの話。」で武田邦彦先生が「冷蔵庫を開けるのが怖い」という話をされていました。
これは男性と女性の脳、あるいは「認識の仕方の違い」を鮮やかに描き出した表現だと感じました。

おそらく意図としては、
男性は冷蔵庫の中身を覚えられないから中の混沌が怖い。
女性は生活文脈で身の回りを理解している。
という差を表現しているのでしょう。

AIに「文脈」は宿るのか

ここでAIの登場です。 最新のスマート冷蔵庫と連携したAIは、中身を完璧にデータ化します。

AIにとって冷蔵庫は、一点の曇りもない「管理可能な座標」です。データに基づき、不足分を自動で注文し、余った食材で最適なレシピを弾き出します。AIには「混沌」という概念自体が存在しないため、開けるのを躊躇することなどあり得ません。

しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。 「データとして管理すること」は、人間にとって本当に「自然」な状態なのでしょうか?

AIが得意とするのは「入力 → 処理 → 出力」のプロセスです。そこに「生活の匂い」や「揺らぎ」はありません。

「生活文脈」による把握は、非常に高度で複雑な処理です。体調、気分、季節感、そして愛情。それらが混ざり合った「生きた情報」を、現在のAIは「0と1」に還元して処理しているに過ぎません。

便利さと引き換えにする「聖域」

デジタル化が進み、AIが冷蔵庫の中身を完璧に管理してくれるようになれば、確かに「冷蔵庫を開ける恐怖」からは解放されるでしょう。

しかし、生活のあらゆる局面が「データ処理」に置き換わったとき、私たちは「文脈」という人間ならではの豊かな認識能力を退化させてしまうのではないでしょうか。

デジタル化が加速する今、私たちは「効率」の先にどのような価値を見出せるのでしょうか?

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