近年、インターネットの発展によって、従来のオールドメディア主導の世論操作は弱まりました。
しかしその一方で、ネット空間では特定の政党や政治家に対する過度な期待や攻撃が繰り返され、結果としてこれまで以上に「感情の政治」へと傾いているように見えます。
この光景を見るたびに、私は確信するのです。
「日本で近代的な民主主義を成立させるのは、構造的に無理があるのではないか」と。
民主主義とは本来、制度と手続きによって成立するものです。
特定の政党や人物を信仰することでも、カルト的な支持を集めることでもありません。それは宗教の領域です。
しかし日本社会は煽動に極めて弱いのです。
その場の空気、単純なスローガン、キャッチコピーの一撃で大衆が一方向に流れてしまいます。
郵政民営化のとき、内容を理解しないまま賛成へ突き進んだのは、その典型例でしょう(笑)
チャーチルは民主主義を消極的に肯定しましたが、プラトンは民主政を厳しく批判しました。デマゴーグが大衆の感情を利用すれば、国家は堕落し独裁へ向かうからです。
私は民主主義を成立させるためには、二大政党制しかないと考えています。
権力は必ず腐敗するため、使い捨てのサイクルを制度的に保障する必要があるからです。
アメリカが良い例ですが、どうやら日本ではこの路線は不可能なようです。
では、どうすべきか。
私の現時点での結論は、はっきりしています。
「貴族院の復活」
参議院を廃止し、華族制度を復活させ、血統主義によって大衆迎合から切り離された議院をつくる。衆議院と対等の権限を与え、衆議院を牽制し続け、国政を常時停滞させる。
私は夜警国家原理主義者なので、この「国政停滞論」を強く推します。
日本の国政政党はすべて「大きな政府」を志向する社会主義的な危険思想ばかりで、もはや手の施しようがありません(笑)
それならば、摂関政治のように中央権力が何もしない制度をあらかじめ組み込むしかありません。
権力の暴走も、煽動家の跳梁跋扈も、制度そのものが止めてくれるわけです。

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